故・三善晃先生は、「今、ここで生まれる音楽を聴きたい」とおっしゃいました。楽譜に則って演奏される西洋音楽は究極の予定調和と言えるにもかかわらず……です(もちろんコンチェルトのカデンツや即興演奏などもありますが……)。
楽譜に書かれた音符に「命を吹き込む」のは人間であり、音は毎瞬新たに生まれ、そして消えていく、まさに「今を生きる」、それが音楽の本質ということなのでしょうか。だからこそ、楽譜には無限の表現の可能性があり、予定調和ではない「今、ここで生まれる音・音楽」の尊さを三善先生は説かれたのだと思います。
4歳でヴァイオリンに出会い、5歳からピアノに、中学生の時にはトランペットに、高校・大学では合唱にのめり込んで、常に音楽とともに歩んできた私(雨森)が、今、音楽の場で常に考えるのは、三善先生のこのお言葉であり、この先もこのお言葉にかなう音楽を追い求め続けるのだと思います。同様に人の考え方は日々新たになっていくものであり、また、合唱団も生き物……。「CANTUS ANIMAEはどこへ行く」を何度も改訂し続けているのも、そういうことなのです。
そして、2年にわたるコロナ禍は社会に様々なことを突き付けてきましたが、音楽(合唱も含めて)の在り方についてもギリギリの決断を迫られる場面の連続であったと思います。この2年間の厳しい状況を受けて、再度「CANTUS ANIMAEはどこへ行く」に改訂が必要となったと判断しました。ただ、合唱団としての基本的な姿勢、音楽への向き合い方は何ら変わるものではありませんので、過去3回の内容を検証し、方向性の修正が必要な部分だけを補筆の形で対応したいと思います。
INDEX
【演奏活動の在り方について】
1) 共に同時代を生きる作曲家との協働による個展の充実
2) MC(マンスリーコンサート)の充実とその発展型
3) 礒山先生との約束の実現
4) MODOKIとのジョイント
【技術的側面について】
ジェラルド・ムーアは、その著書「伴奏者の発言」の中で、アンサンブルピアノはソロピアノを極めた者が進むことのできる次の段階であると喝破しています。もちろん、今のピアノ教育システムはそうなっていませんが……。
そういった意味からも、CAの多くのメンバーが個人的に声楽のレッスンに通い発表会やコンクールに出るなどして、「一人で歌いきる」ということを学んでいるのは、合唱団にとって、とても大きな力になっています。CA創団当初にヴォイストレーナーの先生をお願いし、「技術的な向上心を持つことの大切さ」を皆で共有してきましたが、今は一人ひとりが、自分でそれぞれの課題を克服し、成長しようという空気が団内にあり、当面、今の形で十分だと考えています。
【演奏活動の在り方について】
コンクールについては委嘱作品の紹介、埋もれた名曲の紹介、一つの作品にとことん取り組むことを学ぶなど、第3稿に書き記したようにメリットも多く、これからもうまく利用させていただきたいと思います。
また、自主企画公演も、今まで同様、一つ一つの演奏会に、しっかりとしたコンセプトを持って取り組みたいと思います。ただ、私も62歳になり、残された時間も限られてきました。今までにない企画も含めて今後実現したいと「妄想」しているものを、以下に書き連ねたいと思います。
1) 共に同時代を生きる作曲家との協働による個展の充実
何度も同じことを言ってきていますが、バッハやベートーヴェンをどれだけ深く勉強・研究しても、実際にバッハやベートーヴェンが自作をどのような音楽として表現していたのか、表現したかったのかは永遠にわかりません。しかし、同時代をともに生きている作曲家からは、そうした思いを聞きながら音楽づくりができますし、それは同時代を生きる者の特権です。
栗山文昭先生は、三善晃先生と新作初演も含めてたくさんの協働をなさってきました。今、私たちは、栗山先生からその時のお話を伺い、また、その演奏を聴くことで、三善先生の音楽の在り方の本質について多くを学ばせていただいています。
私も、合唱音楽を生業として生きてきた者として、少しでもそうしたものを次の世代へ繋げていけたらと思っています。そして、CAがそうした活動の一端を担ってくれることを心から望んでいます。
幸いCAは多くの作曲家の新作を発表する機会に恵まれてきました。堀内貴晃さん、秋透さん、安藤寛子さん、増井哲太郎さん、森田花央里さん、松本望さん、信長貴富さん。そして、その音楽づくりの過程でたくさんのことを、それぞれの方から教えていただきました。
私自身は、楽譜との向き合い方が根本的に変わったと思います。そうしたことをさらに深めていくために、個展は大変重要な企画であると思います。どの作曲家も本当に素晴らしい方たちなのですが、まずは直近で「異界の門」を初演させていただいた信長貴富さんの作品について、更に深く知り、学ばせていただくために企画したのが、2022年6月の信長貴富作品展vol.2です。今後はそうした企画をさらに充実させていく方向へ舵を切っていきたいと考えています。
そして、その先に考えたいのが、作曲家との協働で培った音楽を海外へ発信していきたいということです。
また、そのような営みを考える時には忘れてはいけないのが、私たちに寄り添ってくださるピアニストの存在です。栗山先生が三善作品を演奏なさるときには、田中瑤子先生という稀有なピアニストの存在があったように、今、私たちは、平林知子さんという類い稀な才能を持ったピアニストと共にいることが出来ているということです(私と信長さんを具体的に繋いでくださったのは平林さんなのです……詳細は触れませんが……平林さんは今までに信長さんの作品を10作以上初演なさっていて、まさに信長さんが最も信頼しておられるピアニストのひとりなのです。田中瑤子先生なくして「五つの童画」や「海」「五つの唄」「三つの夜想」などが誕生しなかったように、平林さんなくして、「不可思議のポルトレ」や「麦」「墓碑銘」「異界の門」は誕生していないと思います)。
1999年に田中瑤子先生が67歳でお亡くなりになった時、栗山先生が「僕の音楽人生は終わった」とおっしゃったのですが、CAと平林さんと私の協働も永遠ではありません。
特に三善先生の作品をはじめ、2台ピアノまたは4手による合唱作品が多いのは、日本の合唱作品の特徴のひとつになりつつあり、それを日本からの新たな文化として紹介するのは是非ともやりたいことのひとつです。幸いなことに数々の演奏活動を通して、CAの演奏活動の中から平林さん野間さんという、稀有なピアノデュオが誕生しました(2022年7月には遂にピアノデュオの演奏会をなさいます)。田中瑤子先生と浅井道子さんのデュオに匹敵する素晴らしいデュオであり、これはCAの宝物だと思っています。「海」「田園に死す」「唱歌の四季」(以上三善晃作曲)「二つの祈りの音楽」(松本望作曲)「異界の門」(信長貴富作曲)これらを並べたプログラムを日本から世界へ発信したいと思いませんか……。加えて、その際にはブラームスの4手によるドイツレクイエムも携えていきたいと思います。特にドイツ人の前で演奏して、自分たちが勉強してきたことが正しかったか、どうかを確かめたい……。
こんなことも個展の充実の先に「妄想」しています。
2) MC(マンスリーコンサート)の充実とその発展型
MC(マンスリーコンサート=月1演奏会)は、限られた人生の中で、実際に自分で演奏できるものは限りがあるため、とにかく1曲でも多くの作品に触れたいということで始めた、団内・無観客演奏会です。
月に1回、テーマを決めたプログラムを作成し、一日かけてGPのつもりで音楽づくりをし、最後に無観客本番を行うというものです。今まで、バッハのロ短調ミサ、モーツァルトのレクイエム、ブラームスのドイツレクイエム、フォーレのレクイエムのような大作や、高田三郎個展(水のいのち、心の四季、ひたすらな道、イザヤの預言)など、様々な形で取り組んできました。直近は、2022年2月の「シューマンを歌う」でした。また、MCがきっかけで、バッハのロ短調ミサは、後述する礒山雅先生との協働による演奏会に発展しましたし、モーツァルト、ブラームスのレクイエムも、他団体との合同ではありましたが、オーケストラとの本番に辿り着きました。
そこで、さらなる発展型を意識して企画したのが、前回の「シューマンを歌う」でした。最後の無観客本番では、まず、皆でシューマンの交響曲第4番を聴き、シューマンの歌曲を団内のメンバーが歌い、ピアノのSolo(野間先生の生演奏)を聴き、重唱曲を歌い、合唱曲を歌う……、こんな内容でしたね。私はこうした何でもありの演奏会が大好きなのです。私自身もそうでしたが、吹奏楽をやっていた頃は吹奏楽ばかり聴いていました。よく父親に「オーケストラも室内楽も……色々聴かなきゃだめだ……専門バカになるな」と言われましたが、なかなか難しいです。例えば、合唱団の演奏会にオーケストラや吹奏楽をやっている方が積極的に足を運んでいる現状はあまりないと思います。
また、演奏会を興行的側面から見た場合に、様々なものを集めて一夜の演奏会を成立させるのは難しいからとも言えます。こうした何でもありの最終形の一つが、ラ・フォル・ジュルネだと思いますが、あれだけ大きくなると、すべての演奏を聴くのは難しいと思います。やはり自分の好みのジャンルに偏ってしまうのは仕方がないことだと思います。そこで、そうした要素を含んでのコンパクトな演奏会はどんな形になるのかを試したのが「シューマンを歌う」のMCでした。例えば今後、CAが企画して「モーツァルトを聴く」という内容で、モーツァルトの器楽曲、歌曲、ピアノ曲、合唱曲を集めた一夜の演奏会ができないかを「妄想」しています。少し長い演奏会になるかもしれませんが……。具体的な内容については、また、練習の中などで語りたいと思います。
以上のような演奏会を、通常の演奏会とは別建てで「CANTUS ANIMAE音楽会」と銘打って開催するのも良いかもしれません。また、現在、Soloを勉強している方がCAにはたくさんおられますので、歌曲や合唱曲のSoloはすべてCAのメンバーでやっていただくのが理想だと思っています。なお、器楽についても、既存のオーケストラなどに依頼するのではなく、CAの今までの演奏活動の中で関わっていただいた方を中心に、その時だけのオーケストラを編成していただくことで、器楽奏者、歌い手、指揮者が共通の音楽的価値観を持って演奏できることが、CAが企画する大きな意味の一つだと思っています(実際にロ短調や、モーツァルト、ブラームスのレクイエムでは、この思いに近い演奏ができたと思います)。
3) 礒山先生との約束の実現
礒山雅先生とともに創り上げた「バッハ ロ短調ミサ」の演奏会は、色々な意味で革新的な演奏会だったと思います。
礒山先生からは「音楽研究の現場と音楽の現場に携わる人との協働による演奏会の実現」というテーマをご提示いただき、礒山先生による3時間・6回の勉強会、礒山先生に練習の場に立ち会っていただいての「バッハ研究家の立場」からの助言、ピリオド楽器によるオーケストラを礒山先生のお声掛けで編成いただき、ソリストは礒山先生門下の方々にコンチェルティスト方式で関わっていただき、その方たちに合唱の指導もしていただく……という、まさに夢のような企画でした。また、この企画のスタート前に、「雨森さん、私はロ短調のファクシミリ楽譜を2冊持っているので、1冊をあなたに差し上げる。これから本番へ向けて、バッハの直筆譜に一緒に向き合って、勉強していきましょう。」と言っていただいたときの感激は今でも忘れられません。バッハ研究家として名を成しておられた先生が「一緒に勉強しましょう……」とおっしゃったことは、私の人生観を変えるほどの大きな出来事でした。
そして、この礒山先生の熱い想いは、CAをも変えました。
自主練習を自主的に企画して(合唱団としてではなく、一人ひとりが自然発生的に声を掛けあって、集まれる人だけで、少しでも多く練習するという……)、まさに本当の意味での「自主練」がCAに根差したのはこのロ短調の時でした。その時の、一音たりともおろそかにしない、一人ひとりがやれるだけのことはとことんやる……、という姿勢は、今に受け継がれていると思います。
さて、その礒山先生が、2017年の年末にCAのスタッフ数名との会食会を催してくださり、その席上で、「雨森さんとは、次はモンテヴェルディのヴェスプロをやろう、と話していたが、実は今、僕はバッハのヨハネ受難曲の博士論文を書いている。まもなく書き上がるので、それをもとにCAとはヨハネをやるのもいいと思う。雨森さんに、そう伝えておいてほしい……」とおっしゃったそうです。その2ヶ月後、礒山先生は天に召されてしまい、このお言葉は私に対する遺言になってしまいました。
また、礒山先生が致命的なお怪我をされたのは、その博士論文提出の翌日でした。ですから、私だけでなくCAにとっても礒山先生のこの遺言は必ず実現しなければならないと思っています。もちろん、私も含めて全員でヨハネの博士論文を勉強した上で……(その博士論文は遺著として2020年に出版されています)。そして、礒山先生には、名著「マタイ受難曲」があります。これを通らずして「ヨハネ論文」には辿り着けませんので、まずは近いうちにMCで「マタイ受難曲」を勉強して、「ヨハネ受難曲」への道筋をつけたいと思っています。
4) MODOKIとのジョイント
MODOKIとは、2011年の東京でのジョイントをスタートに、岐阜、熊本と三度のジョイントコンサートを行い、2021年10月には、大阪でMODOKIだけでなく、Combinir di Corista、クールシェンヌと4団体でジョイントコンサートを行いました。
そもそも、こうしたことを始めようと思ったのは、三善先生の「合唱団の枠を超えた活動をしてほしい」というお言葉がきっかけでした。MODOKIとこういう営みを継続したことで、単独の活動だけでは得られなかった多くの学びを得たと思います。ただ、前述したように、限られた時間の中でやりたいことが山積みです。ですから、しばらくはこうした他団体と一緒に何かをすることは難しいかもしれません。
いずれにしても、MODOKIを始め、こうした歩みに寄り添ってくださった団体には、感謝の思いしかありません。
とは言うものの、三善先生がおっしゃるように、閉ざされた活動からは新たなるものは生まれてきません。ですので、そうした部分をCAが持ち続けるために、近時、部分的に行っているMCの外部参加の方との共同開催を充実させることで、開かれた環境を持ち続ける一助としたいと思います(現在は、コロナ禍の影響で、あまり大々的には行えていませんが)。
【CAの未来像について】
CAは、私と音楽をすることを目的に創られましたので、私がいなくなったらどうなるのか……、なかなか難しい問題です。
しかし、確実に言えることは、CAには素晴らしい音楽家が集ってくださっているということです。ですから、私としては、私がいなくなった後も、この合唱団を存続させてほしい……それが願いです。
そのための準備段階として、現在、若手指揮者の谷郁さんにアシスタントコンダクターを務めていただいています。谷さんと新たな方向性を模索する企画もスタートしています。谷さんはCAの元団員で、一念発起してウィーン国立音大を受験(単なる留学ではありません)され、見事、一発合格してエルヴィン・オルトナー等の下で、6年間指揮を学び、その間、アーノルド・シェーンベルク合唱団の歌い手としても活動・研鑽を積んでこられました。CAだけでなく、日本の合唱界にとっても、今後、元々は西洋の文化であった合唱音楽を、日本の新たな文化として発信していくために力を尽くしてくださるであろう大切な方です。
谷さんとCAが今後、どのような活動をしていくのか、私は見守っていきたいと思っています。
以上、思いつくことをざっと書き並べてみました。どれも「本当に実現できるの?」といった疑問符が付くことばかりだと思います。しかし、皆さんが叡智を結集して次々に実現して築いてくださったのが今の「CANTUS ANIMAE」という合唱団です。
当然のことですが、私はこれからも、この合唱団に全身全霊を傾けて向き合っていきます。それが私の「生き様」でもありますので……。
音楽監督 雨森文也